広島高等裁判所 昭和42年(ラ)9号 決定 1967年5月16日
相手方 末田タカヱ
抗告人 国
訴訟代理人 山田二郎 外二名
主文
原決定を取り消す。
相手方は、別紙目録記載の上地について、譲渡および質権、抵当権、質借権の設定、その他一切の処分をしてはならない。
抗告費用は相手方の負担とする。
理由
抗告代理人の抗告の趣旨および理由は別紙記載のとおりである。
一、本件被保全権利と対抗要件の要否について。
抗告人の主張によれば、別紙目録記載の土地は、もと田村対造の所有であつたところ、同人から財団法人海軍共済組合に、同組合から抗告人に順次譲渡されその旨の所有権移転登記を経由しなかつたところ、他方田村対造の家督相続人である田村義孝から相手方に対し売買を原因とする所有権移転登記を経由したのであるが、右売買契約は通謀虚偽表示であつて無効であるというのであるから、抗告人は相手方に対し、自己の所有権取得登記なくして、右所有権取得を主張することができるのである。
二、被保全権利および保全の必要の疎明について。
抗告人の疎明資料によれば、次の事実が一応認められる。
1 財団法人海軍共済組合協会が昭和一三年一〇月二四日から昭和一六年二月四日までの間に三回に亘つて呉市宮原通一二丁目、一三丁目および警固屋町一丁目地内の合計二万二五五〇坪二合の土地を多数の所有者から呉海軍工廠見習工員教習所敷地として買い受けた。
2 右協会は昭和一九年一二月二八日抗告人(当時の呉海軍施設部)に対し、別紙目録記載の土地および附近一帯の土地を含む呉市宮原通一二丁目、一三丁目、警固屋町一丁目等地内の元呉海軍工廠工員養成所および宿舎の敷地を売り渡した。
3 本件土地は昭和一三年当時田村対造の所有であつたが、同人は昭和二〇年三月一九日死亡し、田村義孝が家督相続により取得したとして昭和三九年一二月八日に、次いで同人の姉である相手方が同月二五日田村義孝から買受けたとして同日に、本件土地につきその旨の各所有権移転登記を経由した。そして、同月二七日相手方および田村義孝が抗告人に対し本件土地の所有権確認請求の訴を提起した。
以上の事実によれば、抗告人が本件土地の所有権を取得したことおよび田村義孝と相手方との間の右土地の売買契約が当事者の通謀による虚偽の意思表示によるものであることが一応推認される。
そうすると、抗告人が相手方に対し、右所有権に基づき相手方の所有権取得登記の抹消登記手続を求めることのできる権利が疎明されたものといわなければならない。
そして、前記の疎明事実に徴すれば、抗告人が右登記手続請求権を保全するため、相手方の本件土地の処分禁止の仮処分を求める必要がある、と認められる。
三、叙上のとおり、抗告人の本件仮処分申請はこれを認容すべきであつて、これを却下した原決定は失当として取消を免れない。よつて、抗告費用の負担につき民訴法八九条を適用して、主文のとおり決定する。
(裁判官 宮田信夫 辻川利正 裾分一立)
目録<省略>
抗告状
抗告の趣旨
原決定を取り消す
別紙記載の不動産処分禁止仮処分決定を求める。
抗告の理由
一、原裁判所は、抗告人の仮処分申請を理由ないとして却下したが、抗告人の申請は、法律上の理由からもまた疎明資料の点からも、正当なものであるから、原決定を取り消して、別紙記載のような仮処分決定を求める。
二、本件処分禁止仮処分申請の被保全権利について
(一) 原決定は、「売買契約の買主の有する当該不動産の所有権や所有権移転登記請求権などの如く、優先的効力を有しない権利を被保全権利としては、処分禁止仮処分の如き物権的効力を有する仮処分は発しえない。かく解しなければ、右記の如き権利に、結果的に物権的効力を附与したのと同様の結果をもたらし、かくては右記の如き権利に、その権利の本来有する効力以上のものを与えることになり不当である」と、判示されている。
右物権的効力とは何を表現しようとされているのか明確でないが、そもそも、処分禁止仮処分(民訴法七五五条)とは特定の物の給付あるいは登記を求める権利を有している場合に、その権利の内容が債権的請求権(債権)であるか物権的請求権(物上請求権)であるかを問わず、また、その権利の公示方法(対抗力)が具備しているかどうかを問わず、右権利について将来の強制執行の段階になつて義務者の法律行為により権利の内容の実現ができなくなつてしまわないように執行保全をしようとするものであり、かような権利を被保全権利とするものであれば当然に許容されるものである。このことについては異論を全く見ない(兼子「増補強制執行法」七五五頁、菊井・村松「仮差押仮処分」一七五頁)。
要するに、処分禁止仮処分は、特定の物の給付あるいは登記を求め得る法律関係の当事者間において、その権利者が義務者に対して執行保全のために当然に求めることのできるものである。原決定がかような法律関係にあつても、売買契約の買主の場合には処分禁止仮処分を求めることができないとされるのは、詳細に反論するまでもなく理不尽なものということができよう。
(二) 売買契約の買主が売主に対し当該不動産の所有権移転請求権や所有権移転登記請求権を有している場合に、処分禁止仮処分を認めることは、その権利が本来有する効力以上のものを与えるのではなく、それどころか、その権利について将来債務名義を取得してから強制執行に着手したのでは義務者の法律行為によつて
権利の本来の内容が実現できないので、処分禁止仮処分はまさにその権利自体が本来有する内容を実現できるように執行保全しようとするものである。処分禁止仮処分が本案の請求以上に利益を享受させるものであつてならないことはもとよりのことであり、処分禁止仮処分の効力についてはその本案の請求に対応して個別的に判断を下すべきものである。本案の権利が債権的請求権であることは、処分禁止仮処分を拒否する契機となるものではなく、仮処分の効力を考えるにあたつて、その優先的地位に関して考慮が払われるべきことである。売買契約の買主が当該不動産の所有権移転請求権や所有権移転登記請求権を有している場合に、処分禁止仮処分を認めることは、決して本案の請求以上の利益を享受させるものでなく、それどころかその本来の権利の内容の実現を執行保全するために必要なことであり、執行保全制度の目的に適合しているものである。
なお、債権的請求権のための処分禁止仮処分の効力は、債務者の任意処分を禁ずる効力があるにとどまり、それ以上の優先的効力(優先的地位)や物権的効力(対世的効力)をもつものでないから、原裁判所の判断の失当なことは明らかであるというべきである(同旨、大判大正一二年五月二一日民集二巻三〇五頁、大判昭和二年一一月二九日評論一七巻民訴三〇四頁および吉川「保全処分の研究」二〇三頁以下、兼子前掲書三三五頁)。
(三) 本件において、抗告人は被抗告人に対して、真正な登記に回復するため、直接に所有権移転登記請求権(物権的請求権)を有しているのであるから(同旨、大判昭和一六年三月四日民集二〇巻三八五頁、同昭和一六年六月二〇日民集二〇巻八八八頁、最判昭和三〇年七月五日民集九巻九号一〇〇二頁、同昭和三四年二月一二日民集一三巻二号九一頁)、抗告人は当外に本件処分禁止仮処分申請の被保全権利を有しているものである。
抗告人が右被保全権利を有していないとされる原決定は、すみやかに取消されるべきである。
処分禁止仮処分と仮登記仮処分は、別個の制度であつて、通常の場合両者の選択が許されるのであるが(ドイツでは、仮登記仮処分(ドイツ民法八八三条、八八五条)は処分禁止仮処分の変型と取り扱われているが、両者の統一的な整備は立法論というべきである)、本件のような場合には、右選択の余地のない場合であり、処分禁止仮処分より求めることができないものである。
三、本件の疎明について、原決定は、「抗告人が本件不動産の所有権を取得したことの疎明が極めて不充分であり、特に抗告人の前所有権者が、被抗告人の実父田村対造より所有権を取得した直接証拠は全く存しない」と判示されている。しかし、抗告人の前所有権者(財団法人海軍共済組合)が田村対造から本件土地を買受けたことは、疎甲第一号証「昭和一三年一〇月二四日付教習所新営に関する件通知と題する文書」、同第二号証「呉海軍工廠共済組合の決算書」および同第三号証「元軍用休閑地農耕許可御願」等の、売買に至る経過、代金支払の関係、売買後の経過を明らかにする諸資料により一応疎明ができているというべく、(本件土地が呉海軍工廠見習工員教習所及び同宿舎の予定地として売買されたものであり、本件土地を含めて、その数量は全部で実測で五一、四八〇平方米(約一五、六〇〇坪、公簿面積一二、一六二坪二四疎甲第二月証「土地内訳書」中の一五、六〇〇坪以外は区画整理地域外の土地で右売買と別個のもの)であることは、疎甲第一ないし第三号証ならびに甲第四号証を総合すれば明らかである)、また、抗告人の前所有権者から所有権の取得については、疎甲第四号証「昭和一九年一二月一九日付呉海軍施設部長宛の土地売渡代金領収書」に照して、極めて明確なことである。かりに右疎明が十全でないとしても、それは保証金の供託により代用できうるのである(民訴法七五六条、七四一条二項、二六七条二項)。疎明不足を理由に軽々に本件申請を却下された原決定は、失当なものというべきである(大判昭和一八年三月二日民集二二巻四号一三一頁参照。(註))。
(註) 大判昭和一八年三月二日「債権者ノ請求カ其ノ主張自体ニ於テ理由ナキ場合ノ如キ特殊ナ事案ヲ除キ、裁判所ニ於テ仮処分ノ申請ヲ却下スルニハ、債権者ノ主張スル実体上ノ権利関係及仮処分ノ理由二付疎明スラナキノミナラズ、保証ヲ立テシメテ仮処分ヲ許容スルヲ相当トスル場合ニモ該当セサルコトヲ判決スルコトヲ要スルモノニシテ、債権者ノ主張スル実体上ノ権利関係ナキコトヲ軽々二断定ノ之ヲ理由二申請ヲ却下スヘキモノニ非ス」
別紙<省略>